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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)904号 判決

原告

小暮安永

ほか一名

被告

有限会社平石興業

ほか一名

主文

一  被告らは各自原告小暮安永に対し金三〇一万九七八八円及び内金二六一万九七八八円に対する昭和五五年一〇月三〇日から、内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは各自原告小暮宣子に対し金一九一万九七八八円及びこれに対する昭和五五年一〇月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決の第一項(ただし、内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を命ずる部分を除く。)及び第二項はいずれも仮に執行することができる。

事実

第一申立て

一  原告ら

1  被告らは各自原告小暮安永に対し金一〇一六万九三五〇円及びこれに対する昭和五五年一〇月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは各自原告小暮宣子に対し金八一六万九三五〇円及びこれに対する昭和五五年一〇月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二原告らの請求の原因

一  当事者

1  訴外小暮光浩は、昭和四七年六月二八日生まれの男子で、原告らの二男であつた。

原告小暮安永は、訴外国際ハイヤー株式会社有楽町営業所に勤務するハイヤー乗務員であり、原告小暮宣子は、家事に従事していた。

2  被告有限会社平石興業(以下「被告会社」という。)は、とび・土木工事業を営む会社であり、被告石沢養二は、大型貨物自動車(足立一一や七三九七号。以下「事故車」という。)を保有し、これを持ち込んで、被告会社の指揮命令に従い、被告会社の請け負う土木工事関係の運送業務に従事していた者である。

二  事故の発生

1  昭和五五年三月二四日午後一時〇二分ころ、埼玉県与野市大字上峰一一番地先道路上において、被告石沢(当時三二歳)運転の事故車が交差点を左折しようとして、子供用自転車(以下「自転車」という。)に乗つて横断中の光浩と接触し、そのため光浩が死亡した。

2  事故の態様は次のとおりである。

被告石沢は、事故車を運転して事故現場の交差点を北浦和方面から東京方面へ左折しようとしたが、その際交差点出口に設けられた横断歩道上を、青色の信号に従い、自転車に乗つて北浦和方面から所沢方面へ横断しようとした光浩を見落として、横断歩道を通過したため、事故車の前部を光浩に激突させて、光浩を路上に転倒させた上、これを轢過し、光浩に多発性肋骨骨折、両側外傷性気胸、腹部内臓破裂等を負わせて、光浩をその場で直ちに死亡させた。

三  責任原因

1  被告石沢

事故車の保有者であり、また、事故の発生について過失があつたから、被告石沢は、自動車損害賠償保障法三条、民法七〇九条の各規定により損害賠償責任がある。

2  被告会社

被告会社は、実質的に被告石沢を雇用していたものであり、被告石沢は、被告会社の事業の執行として事故車を運転し、過失によつて事故を発生させたのであるから、被告会社は、民法七一五条一項の規定により損害賠償責任がある。

3  被告石沢の過失

(一) 事故車は、車長七・四四メートル、車幅二・四六メートル、車高三・〇八メートル、総重量一九、七七五キログラムの大型貨物自動車であり、被告石沢は、事故車に左前方から左側方にかけて相当範囲の死角があることを熟知していた。

また、事故現場付近における交通量は、人も車も多く、横断歩道を横断する者も多かつた。

(二) 被告石沢は、事故車を運転し、交差点で左折しようとしたのであるから、前方左右等の安全確認義務を尽くすとともに、いわゆる死角周辺注視義務、死角追出し義務及び死角消除義務を尽くして、事故の発生を防止するための適切な措置を講ずるべきであつた。ところが、被告石沢は、横断歩道を右方から左方へ通行する者をやり過ごすために、横断歩道のやや手前で一時停止したのに、横断歩道を左方から右方へ通行する者の有無及び動静については全く確認することなく事故車を発進させ、事故車の前部バンパーを自転車に乗つて横断中の光浩に衝突させて、光浩を自転車もろとも路上に転倒させ、これを轢過した。

(三) また、被告石沢は、転倒した光浩を事故車の車体で踏みつぶし、かつ、光浩を引きずつた。被告石沢は、光浩及び自転車と衝突した時に異常音を感知したのであるから、直ちに急制動の措置を講じて事故の発生を確認し、損害の拡大を防止すべきであつたのに、被告石沢は、事故車を衝突地点から約二八・三メートル走行させて、ようやくこれを停止させた。被告石沢が衝突後直ちに急制動の措置を講じていたとすれば、光浩が死を免れた可能性は極めて大きかつた。

(四) 以上のとおり事故は、被告石沢の一方的過失によつてひき起こされたものである。

4  光浩の無過失

(一) 光浩が乗つていた自転車は、道路交通法二条一項一一号の二に規定された「小児用の車」に該当する。すなわち、自転車は、原告安永が事故時の約二年前(光浩が六歳に満たない時)に買い与えたものであつて、車輪の直径三九センチメートル、サドルまでの高さ六八センチメートル(サドルは上下動する)の足踏式であり、専ら光浩がこれに乗つていたものである。

仮に自転車が「小児用の車」に該当しないとしても、それはこれと同視することのできる子供用自転車であつて、一般の自転車と同じように論ずるのは相当でない。

(二) 事故現場付近には特別に自転車用の横断歩道が設置されているわけでもなかつたし、また、事故当時横断歩道を右方から左方へ、又は左方から右方へと自転車に乗つて横断する大人達がいた。横断歩道は、子供用自転車に乗つて横断しようとした光浩にとつて唯一の安全地帯であつた。

更に、横断歩道を自転車に乗つて横断することを規制するのは、自転車と歩行者との関係で歩行者の安全を確保しようとすることにあるのであつて、自転車と自動車との関係において考慮されているものではない。

(三) したがつて、青色の信号に従つて横断歩道を横断していた光浩には何ら非難されるべき点がないのであつて、光浩には過失がなかつた。

5  監護者の無過失

被告ら主張の原告らの監督責任は過失相殺の対象とされるべきものでないし、また、原告らは、光浩に対し、常日ごろ口うるさく交通道徳を指導していた。

四  損害

1  光浩の逸失利益

(一) 三一二六万四三二〇円

光浩は、高等学校卒業後満一八歳で就労し、満六七歳まで稼働することができた。昭和五五年度賃金センサスの産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の数値によると、以下の各年齢の者の平均給与月額は、一八歳―一二万五〇五八円、二〇歳―一七万〇六二五円、二五歳―二二万八五三三円、三〇歳―二八万一四八三円、三五歳―三二万六四〇〇円、四〇歳―三四万八三九一円、四五歳―三五万四一二五円、五〇歳―三四万五二九一円、五五歳―二八万七一〇八円、六〇歳―二二万一五一六円、六五歳―二〇万一六〇〇円であり、少なくとも右の程度の昇給があるものということができる。生活費として二分の一を控除し、ホフマン式計算法によつて中間利息を控除する。

(二) 二一三三万四八九七円

(一)の計算方法が認められないとすれば、昭和五五年度賃金センサスによる一八歳の者の平均給与月額は一二万五〇五八円であるから、昭和五六年度における全産業平均の昇給率六パーセントをもつて修正すると、口頭弁論終結時に最も近い時点における平均給与月額は一三万二五六一円となり、生活費として三〇パーセントを控除し、ホフマン係数一九・一六〇をもつて中間利息を控除する。

(三) 相続

原告らは、光浩の逸失利益請求権を二分の一ずつ相続した。その額は、(一)によると各一五六三万二一六〇円となり、(二)によると各一〇六六万七四四八円となる。

2  原告らの慰謝料 各七五〇万円

光浩は、原告らにとつて掛替えのない子であつた。前記のような事故によつてその生命を抹殺されたことによる原告らの悲しみは、計り知れない。

3  原告安永の葬儀関係費 一〇〇万円

書証による費用総額は六六万一七五一円であるが、原告安永は、他にも二〇万円ないし三〇万円を支出し、所沢霊園に五七〇万円をかけて墓地を造ることとなつた。

4  原告安永の弁護士費用 一〇〇万円

原告安永は、本件訴訟を弁護士に委任し、着手金として一〇万円を支払い、報酬として九〇万円を支払うことを約束した。

五  損害の填補

1  原告らは、自賠責保険(被害者請求)から一八四六万一三〇〇円の支払を受けたので、これを二分の一ずつ各自の損害の填補に充当した。

2  原告らは、被告らから香典として二〇万円の支払を受けたので、これを二分の一ずつ各自の損害の填補に充当した。

六  そこで、被告らに対し、原告安永は、損害残額のうち一〇一六万九三五〇円及びこれに対する訴状送達の日の後の昭和五五年一〇月三〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告宣子は、損害残額のうち八一六万九三五〇円及びこれに対する右と同じ日から完済に至るまで右と同じ割合による遅延損害金をいずれも連帯して支払うことを求める。

第三被告らの答弁及び主張

一  当事者

請求原因一1の事実は知らないが、同2の事実を認める。

二  事故の発生

請求原因二1の事実を認めるが、同2の事実を争う。

三  責任原因

1  請求原因三の1、2の各事実を認めるが、同4、5の各事実を否認する。

2  光浩の過失

(一) 被告石沢は、信号機と横断歩道の設置してある交差点を、青信号に従い左折しようとしたのであるが、歩行者の動静に十分注意しながら左折方向の横断歩道に差しかかつたところ、右方から自転車に乗つて横断歩道を通行してきた者を認めたので、一時停止してその者をやり過ごした後、再び発進した。ところが、その際光浩が横断歩道を左方から自転車に乗つて通行し、事故車の前方に接近しつつあつたのであるが、光浩の進行コースが事故車の死角に当たり、しかも、光浩が子供で身体が小さく、かつ、歩行者より速い速度で接近していたので、被告石沢は、事故車の運転席から光浩の行動を視認することができないまま事故車を発進させ、その直後に事故車を光浩に衝突させてしまつた。

(二) 光浩は、七歳九箇月の男であつたから、自転車の安全走行について必要な事理弁識能かを十分に具えていたところ、光浩は、道路交通法上自転車で横断歩道を通行することが認められていないのに、自転車に乗つて横断歩道に進入し、また、事故車が左折の合図をしながら既に横断歩道に差しかかつていたのに、事故車に対する安全を何ら確認しないで横断歩道を進行し、事故車の左前方角辺りに衝突した。

(三) したがつて、事故の発生については光浩の過失も寄与したのであつて、損害賠償額を算定するについて少なくとも一割以上の過失相殺がなされるべきである。

3  監護者の過失

仮に光浩が事理弁識能力を欠き、責任能力が認められないとすれば、親権者であつた原告らに次のような監護上の過失があつた。すなわち、原告らは、光浩に自転車を運転させるについて、法規をよく守らせ、速度の出る自転車であるために、歩行者以上に前後左右の安全を確認して走行するように監護すべきであつたのに、その監護義務を十分に尽くさなかつた。また、原告宣子は、光浩らとともに自転車に乗つて交差点付近の寿司屋に出掛けたのに、食事後光浩のみを交通量の多い交差点に先に行かせてしまつたのであり、この点においても監護上の過失があつた。

四  損害

1  請求原因四の1、2の各事実を争い、同3、4の各事実は知らない。

2  光浩の逸失利益を算定するに当たつては、控え目な算定方法が採用されるべきであり、中間利息は複式ライプニツツ方式によつて控除されるべきである。

3  養育費・教育費の控除

光浩が稼働を始めるまでにはその養育費・教育費の支出が必要であるが、これは労働能力の育成のために必要不可欠の費用であるから、労働能力が将来生むであろう収入から右の費用相当額を控除すべきである。そして、右の控除額としては、光浩が高校を卒業して稼働を開始する一八歳までの期間、一箇月二万円とするのが相当である。

五  損害の填補

請求原因五の1、2のうち原告らがその主張の金銭(合計一八六六万一三〇〇円)の支払を受けた事実を認めるが、その余の事実は知らない。

第四証拠〔略〕

理由

一  当事者

1  請求原因一2の事実は当事者間に争いがない。

2  原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証及び原告小暮安永本人尋問の結果(以下「原告安永の供述」という。)によれば、請求原因一1の事実を認めることができる。

二  事故の発生

1  請求原因二1の事実は当事者間に争いがない。

2  原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証、第三号証の一ないし六、乙第一号証、第三ないし第七号証及び原告安永の供述によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  事故発生地点は、戸田市方面から大宮市方面へほぼ南北に通ずる国道一七号新大宮バイパスと、北浦和駅方面から所沢市方面へほぼ東西に通ずる県道浦和所沢線との複合交差点から、戸田市方面へ出る箇所に設けられた横断歩道の上であり、交差点では信号機による交通整理が行われていた。

バイパスは、分離帯をはさんで上下線に分かれており、上り車線(事故発生車線)は、三個の車線に分かれていて、その幅員は一〇・三メートルであつた。

(二)  被告石沢は、事故車を運転して北浦和駅方面から西進し、交差点の手前で赤信号に従い一時停止した後、信号が青色になつたので、その場から発進し、交差点を左折して、バイパス上り車線を戸田市方面へ向かい南進し掛けながら横断歩道に接近したが、その時横断歩道を右方(西方。以下同じ。)から左方(東方。以下同じ。)へ横断しようとしていた通行人を見付け、その者をやり過ごそうと考えて、横断歩道の手前で事故車を一時停止させたところ、その通行人が横断するのを止めて立ち止まつたため、その者より先に横断歩道を通過しようと考えを改めて、再び事故車を発進させ、横断歩道に進入した。

(三)  光浩は、交差点の南東側付近に所在する寿司屋で母原告宣子、兄訴外小暮忠(昭和四五年九月五日生)ほか一名(原告宣子の妹の子)と寿司を食べた後、忠といとこの二人が先に寿司屋を出て、それぞれ自転車に乗り、交差点南方の横断歩道を青信号に従い東方から西方へ横断して行つたのを見て、その後を追い、自分の自転車に乗つて横断歩道を東方から西方へ横断しようとした。

(四)  被告石沢は、横断歩道の手前から事故車を再発進させた時、光浩が横断歩道を左方から右方へ横断しようとしていたことに気付かなかつた。そのため被告石沢は、事故車の運転を続け、横断歩道の南端付近が上り車線の第二車線と第三車線の境目付近と交わる地点において、事故車の前部左側部分を自転車に乗つた光浩に衝突させ、光浩を路上に転倒させて轢過した上、光浩を車体の下に抱き込んだまま約一一・四メートル引きずつた。

(五)  光浩は、左第四、五、六、七、八、九、一〇、一一、右第一、二、三、四、六、七、八、九、一〇の各肋骨が骨折するなどして、その場で直ちに多発性肋骨骨折、両側外傷性気胸、腹部内臓破裂により死亡した。

三  責任原因

1  請求原因三1、2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  被告石沢の過失

(一)  前記甲第三号証の一、二、四、乙第三ないし第五号証によれば、事故車は、車長七・四四メートル、車幅二・四六メートル、車高三・〇八メートル、車両重量九六一〇キログラム、車両総重量一九七七五キログラム(最大積載量一〇〇〇〇キログラム)のいわゆる大型ダンプカーであり、被告石沢は、事故車の運転席(車両の右側前部にある。)から見て、事故車の左方やや斜め前方から斜め後方にかけて、肉眼・サイドミラー・アンダーミラーによつては視認することの不可能な部分、いわゆる死角があることを知つていた事実を認めることができる。

(二)  前記甲第三号証の二、三、乙第一号証、第三号証、第七号証によれば、被告石沢は、西進しながら交差点に接近して左折の合図をし、信号が青色になつたのを見て左折を開始したが、その時交差点南方の横断歩道を左方から右方へ横断し始めた十数名の通行人(歩行者と自転車に乗つた者)を認めたので、その一団をやり過ごした後に横断歩道を通過しようと考え、横断する通行人の歩調に合わせて事故車を運転しながら横断歩道に接近し、一団の者が中央分離帯付近まで渡り終わつた時に、右方から左方へ子供を背負つた女の人が横断しようとしていたのを認め、横断歩道の手前で事故車を一時停止させた事実を認めることができ、その後の被告石沢の運転状況は、前記二2の(二)、(四)において認定したとおりである。

(三)  ところで、信号機の設置してある交差点においては、信号が青色を示している限り横断歩道を通行する者があり得ることを予測すべきものである。したがつて、被告石沢は、信号が青色になると同時に横断を始めた一団の通行人をやり過ごした後に横断歩道を通過しようとしたとしても、信号が青色になつている時間帯においては、一団の通行人の後にも左方から右方へ横断する者があり得ることを予測して、後から続く通行人の有無及び動静について十分に注意を払うべきであつたのであり、また、事故車の左方に死角があることに思いを致して、運転席から助手席に身体を寄せるなどして自分の目で安全を確かめるか、クラクシヨンを吹鳴して通行人に注意を喚起し、避難の行動をとらせるかして、事故車と通行人との衝突事故の発生を防止すべきであつたのである。

ところが、前記乙第三号証によれば、被告石沢は、運転席にすわつたまま、窓越しに事故車の左方を見ただけで、何も人影が見えなかつたところから、大丈夫と思い、右方から左方へ横断しようとしていた女の通行人に気を使つただけで、事故車を発進させた事実を認めることができ、右の事実によれば、被告石沢は、事故車を発進させて横断歩道を通過するに際し、極めて軽率な行動をとつたものというべきである。

(四)  前記甲第三号証の二、三、乙第三号証によれば、被告石沢は、事故車が自転車に乗つた光浩に衝突したことに気付かないで、上り車線の第三車線を走行し続け、光浩と自転車を車体の下に抱き込んで約一一・四メートルから約一二・四メートル引きずつた後、異常音に気付いて事故の発生を確かめ、衝突地点から約二八・三メートル走行した地点で事故車を停止させた事実を認めることができる。

そこで、原告らは、被告石沢が光浩と衝突した直後に急制動の措置を講じていたとすれば、光浩の死を免れ得た可能性が極めて大きかつたと主張するのであるが、光浩がどのような段階において死の転帰を迎えたのかを的確に認定し得る証拠は見当たらないから、被告石沢が衝突直後に急制動の措置を講ずることによつて、光浩の生命を取り留めることができたか否かは判然としないものというほかない。

(五)  自転車に乗つて通行しようとした光浩にとつて、横断歩道は最も安全な通行帯であつたのであるから、被告石沢が、運転席にすわつたまま窓越しに事故車の左方を見ただけで事故車を発進させ、横断歩道を通過しようとしたことには大きな過失があつたものというべきである。

3  光浩の過失

(一)  光浩は、前記二2の(三)において認定したような状況のもとで、自転車に乗り、横断歩道を横断しようとした。

前記甲第三号証の五及び原告安永の供述によれば、光浩の乗つていた自転車は、サイズ一六インチ(約四〇・六センチメートル)の足踏式子供用自転車で、光浩が五歳のころからこれを乗り回していた事実を認めることができ、また、前記甲第三号証の二、乙第一号証、第三号証、第七号証によれば、交差点付近には自転車横断帯が設置されておらず、事故発生当時大人や子供が横断歩道を自転車に乗つて通行していた事実を認めることができるのであるから、このような事実に照らせば、光浩が自転車に乗つて横断歩道を通行したことをもつて、これを非難すべきであると見るのは相当でない。

(二)  前記認定のとおり光浩は、兄忠らの後を追つて横断歩道を横断しようとしたのであるが、前記乙第一号証、第七号証によれば、光浩は、横断歩道の手前(東方)で止まらずに、自転車に乗つたまま横断歩道に進入し、そのころには既に事故車が発進して横断歩道に進入しかけていた事実を認めることができる。

(三)  ところで、光浩は、当時七歳八箇月の男であつたから、横断歩道を安全に通行するにはどのような点に注意を払うべきかについて十分に知つていたものと見ることができる。前記のように事故車には左方に死角があつて、運転者にとつては横断歩道付近の通行人を十分に視認し得ないことがあつたのであり、しかも、横断歩道の手前に一時停止していた事故車が発進を開始して横断歩道に進入しつつあつたのであるから、それより瞬時でも遅く横断歩道に進入しようとした光浩としては、右斜め前方で動き出した事故車の動静に注意を払い、横断歩道の手前で止まるか、又は横断歩道に入り事故車の手前で止まるかして、事故車が横断歩道を通過するのを待つべきであつたのであり、目前を走行し続ける事故車の前方(南方)を横切るような行動に出ることはこれを避けるべきであつたのである。

そして、光浩は、乗り慣れた子供用自転車に乗つていたのであるから、横断歩道又は事故車の手前で容易に自転車を止めることができたものと推認することができる。

(四)  横断歩道を青信号に従つて通行する者にとつても、事故の発生を防止するために注意を払い、適切な行動をとる義務があるのであつて、青信号に従つているのであるから、脇目も振らず、ただ真直ぐに横断歩道を突つ走つて行つて何が悪い、ということにはならないのである。

前記認定の事実によれば、光浩は、事故車の動静に対する注意を欠き、事故車の前方(南方)を横切るという適切でない行動に出たことにおいて、事故の発生について過失があつたものというべきである。

(五)  そして、被告石沢の過失と対比すれば、光浩の過失の程度は一割程度と見るのが相当であり、損害賠償額を定めるについてこれを考慮すべきである。

四  損害

1  光浩の逸失利益

(一)  原告安永の供述によれば、光浩は、健康な男で、事故当時小学校第一学年の課程を修了した者であり、原告らは、いずれも高等学校を卒業した者で、光浩を大学まで行かせたいと望んでいた事実を認めることができ、右認定事実によれば、光浩は、少なくとも高等学校を卒業して、満一八歳から満六七歳まで四九年間稼働することができたものと推定することができる。

原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証によれば、昭和五五年度賃金センサスの産業計・男子労働者・新高卒・企業規模計・一八~一九歳のきまつて支給する現金給与額は月額一四万一六〇〇円であり、年間賞与その他特別給与額は三九万二九〇〇円である事実を認めることができるから、右の数値による給与額は年額二〇九万二一〇〇円となり、光浩は、満一八歳に達するころ右の額を下らない収入を得ることができたものと推定するのが相当である。原告らは、光浩の給与額をほぼ五年ごとに昇給させるなどして推定すべきであると主張するが、そこには不確定な要素が数多く含まれることとなり、合理性を欠くこととなるから、これを採用することはできない。更に原告らは、口頭弁論終結の時点を考慮し、昭和五五年度賃金センサスの数値を年六パーセントの割合で増額して逸失利益を算出すべきであると主張するところ、昭和五六年度における全産業平均の昇給率を六パーセントと認定し得る資料もないので、これも採用することができない。ちなみに、前記推定の光浩の年収額二〇九万二、一〇〇円は、原告らの後者の主張による年収額一五九万〇七三二円よりも高額なのである。

光浩が生存した場合における生活費として収入額の二分の一を控除するのが相当である。

被告らは、光浩の養育費・教育費を控除すべきであると主張するところ、その主張にも一理あるのであるが、判例(最高裁判所昭和五〇年(オ)第六五六号、同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決)に従い、被告ら主張の養育費・教育費を控除しないこととする。

中間利息は年別複式ライプニツツ方式に従つて控除するのが相当であり、ライプニツツ係数は一八・八七五七(五九年)から七・七二一七(一〇年)を差し引いた一一・一五四を採用するのが相当である。

したがつて、以上の数値による光浩の逸失利益の現価は、一〇四万六〇五〇円に一一・一五四を乗じて一一六六万七六四一円となる。

(二)  光浩の過失を考慮し、右のうちの九割に当たる一〇五〇万〇八七六円を賠償額と定めるのが相当である。

(三)  原告らは、(二)の賠償請求権を二分の一ずつ相続し、それぞれ五二五万〇四三八円の債権を取得した。

2  原告らの慰謝料

原告安永の供述によれば、原告らは、二男光浩を失つて悲嘆にくれ、原告宣子は、一時神経衰弱に陥つて、家事も出来ないようになつた事実を認めることができ、右の事実のほか、事故の発生状況、光浩の過失等を考慮すれば、原告らに対する慰謝料としてはそれぞれ六〇〇万円の限度において認めるのが相当である。

3  葬儀関係費

原本の存在に争いがなく、原告安永の供述により成立を認める甲第四号証の一ないし一六及び原告安永の供述によれば、原告安永は、光浩の葬儀関係費として、領収証のあるもので六六万一七五一円、領収証のないものを含めて一〇〇万円に近い金銭を支出した事実を認めることができるところ、右の事実に照らし、領収証のある支出額に若干の支出額を加算して、七〇万円の限度において認容するのが相当である。

4  損害の填補

(一)  原告らが自賠責保険から一八四六万一三〇〇円の給付を受け、被告らから香典として二〇万円の支払を受けた事実は当事者間に争いがなく、その充当方法については、原告ら主張のとおりその二分の一ずつを各自の損害の填補に充当したものと見るのが相当である。

(二)  そうすると、それぞれ九三三万〇六五〇円が弁済されたこととなるから、損害の残額は原告安永について二六一万九七八八円となり、原告宣子について一九一万九七八八円となる。

5  弁護士費用

原告らが弁護士鷲野忠雄に対し本件訴訟の提起・遂行を委任した事実は記録上明らかであるが、原告安永は、その主張に係る着手金・報酬の約定について何ら立証しない。しかし、訴訟行為の程度・認容額等に照らし、弁護士費用として四〇万円を被告らに負担させるのが相当である。

五  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告安永において損害金三〇一万九七八八円及び弁護士費用を除く内金二六一万九七八八円に対する訴状送達の日の後である昭和五五年一〇月三〇日(これは記録上明らかである。)から、弁護士費用の内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、また、原告宣子において損害金一九一万九七八八円及びこれに対する訴状送達の日の後である昭和五五年一〇月三〇日から完済に至るまで右と同じ割合による遅延損害金の支払を求める限度において、それぞれ理由があり、これを認容すべきであるが、その余の請求部分はいずれも理由がないから、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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